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パリダカール中止に想う

テリーの詩
サハラはいい!
何人たりともよせつけない厳しさをみせつけるかと思えば、すべての苦悩を包みこんでしまう優しさを見せることもある。
時としてその、包容力は死をも包みこんでしまうこともある。生きているものにとって「生きることしか進むべき道はない」と強く訴えかけてくる。もうダメだとくず折れるものには「もういいんだよ」、と優しく死に誘う。
私は砂漠のあまりの美しさと怖さに魅せられ何度も何度もアフリカに行った。目指すはいつもサハラだった。
いつ果てるとも知れない広大な荒野を何日も何日も駆けて砂漠にいったことがある。
ところどころに砂丘が現れ、行く手を阻む。何度も何度も砂に足をとられて立ち往生する。砂丘に倒れこむ。エンジンが止まると静寂の世界。自分の呼吸音と衣服の擦れ合う音、そして耳鳴りしか聞こえない。どうしようもないくらい不安がむくむくと大きくなってきて心が萎えそうになる。面白いもので、たった一人の砂漠でものごとがうまくいかなくなるとすぐに死がリアルにイメージできるのだ。とても落ち込む。しかし同時に落ち込んでいる場合ではない、死んでいる場合ではないという想いがムクムクと湧いてくる。理屈ではない。うれしいのだ、生きていることが。気を取り直して前進する。月のある夜はヘッドライトを消して月明かりで走る。とても幻想的な雰囲気だ。

 

あるときは、モロッコ、アルジェリア、チュニジアを貫き地中海とサハラ砂漠の間に壁のようにそびえたつ4000メートル級の山、アトラスを越えていったこともある。樹木が豊富な地中海側から峠を越えると急に草木が全く生えていない南側の斜面が現れる。標高が高いのでかなり遠くまで見渡せる。日が落ちるときの色は山も空も何もかもオレンジ色でたとえようもないくらい美しい。
月のない夜は日が落ちると漆黒の闇がひろがる。いつ終わるともわからない長い長い下り坂。ヘッドライトを点けるから視界が狭まりトンネルの中を走っているような錯覚に陥る。口をあけた地獄に落ちてゆくような気分におそわれる。遥か遠くの方に稲妻が横に走る。雷鳴は聞こえない。砂嵐は近い。
夜の大砂丘から天球を見上げるとそこは大宇宙。自分の立っているところよりも下にまで星空が広がりがありそれはまるで宇宙に浮遊している感覚になる。
サハラ砂漠には人間の創造物がまったくないところが数百キロも続く場所があり、その景観は火星探査機から送られてきた画像さながらの様子で、大きな岩がごろごろしていたり不思議な形の小山がいくつも現れたりする。時には大きなクレパスのような裂け目が現れたりもする。まさに太陽系第三惑星といったところだ。
あるときはエンジントラブルでバイクを失い貨物列車でいくつもの国境を越えたこともあった。貨物列車といっても囲いも何もない平たい鉄板だけの貨車だ。夜、寝ているときに落ちないように体を縛り付けてから寝るのだ。
何もない荒野を西に向かうこの列車がまた面白い。駅などほとんどないので止まらない。用を足すのも走る列車からだ。バオバブの木に鈴なりになっているたくさんのヒヒに遭遇したり、ニジェール川のそばを通過したときなどはカバを見ることもできた。
私の人生に大きなインパクトを与えたサハラ。真砂の小さきことの意味を教えられ、偉大なる砂丘のうねりに大きいことの意味を知る。そして小さいことも大きいことも同じことと気づく。観るものの心の在りかで変化することを教えられた。

 

毎年、ヨーロッパから西アフリカのダカールまで走るパリダカールラリーというレースが行われていた。だいぶまえのことになるが私も参加したことがある。20年以上続いた伝統あるレースなのだが、突然2008年1月主催者から中止が発表された。国際テロ組織アルカーイダ系のグループがラリーを攻撃するとの情報を受けてのことだ。

 

コースは約1万㎞にもおよび、その半分近くを占めるモーリタニアでは2007年12月末にフランス人観光客4人がテログループに殺害される事件がおきた。きわめて治安が悪くなっている。そういえば今から7年程前からサハラ南部のニジェールやマリでパリダカールラリーのコースが部分的にキャンセルされることがたびたびあった。フランス政府の情報機関によると、このときは“サハラを知りつくした”テロ組織のリーダーである「ベル・ホハタール」という人物がコース付近に潜伏していたらしい。

 

以前、サハラ砂漠に同行したことのある私の妻が言ったことがある。「パリダカールラリーってヨーロッパがアフリカを植民地支配していた時代の文化の雰囲気があるわね」と。私はたいして気にもとめなかった。しかし12月末にネットに出されたテログループの声明は「ラリーは、フランス植民地主義の最後の象徴である」であった。

 

そして今思い出すことがある。サハラ砂漠最南端のオアシスの町、アガデスに滞在したときのことだった。サハラの遊牧民でトゥアレグ族と呼ばれる人たちがいる。彼らのいでたちは長いターバンを頭と顔にグルグルに巻きつけ目だけを出して部外者には顔を見せない。衣服はガンドゥーラと呼ばれるゆったりとした着物のようなものを着て皮のサンダルを履いている。そして胸には短刀、腰には長い刀を下げてらくだに乗って疾走する。その姿は映画のワンシーンのようでカッコイイものだった。彼らに聞いたことがある。「その腰の刀は何に使うのか」。すると彼は「フランス人の首を落とすためさ」と答えた。緊張感がはしった。本気なのだと思った。

 

トゥアレグ族の歴史は古く15世紀の資料にも出てくる。昔から砂漠のキャラバンルートを掌握し隊商などに保護を与えサハラに君臨した部族だ。またアルジェリア独立戦争の時にはフランス外人部隊に対する勇猛果敢な突撃は伝説である。そして最後までフランスに対し頑強に戦った誇り高き戦士であったらしい。

 

私は以前、パリダカールラリーに参加した際アフリカを南下するごとに私たちに向けられた人々の視線の違和感を覚えている。その意味はまさに「ラリーはフランス植民地主義の最後の象徴である」という言葉どおりだったのか。かつての“植民地支配者”に向けられた視線であったのか。
今思い出す言葉がある。パリダカールラリーの創始者故テリー・サビーネの詩である。
「ダカール、夢。
ダカール、狂気。
ダカール、論争。
もう一度言おう、ダカール!
私と一緒に戦う時がきた!」
テリー・サビーネ